2021-05-12 第204回国会 衆議院 経済産業委員会 第12号
当時、菊池製作所は、お手元、御覧になっていただきますと分かりますが、従業員三百五十人の典型的な物づくり中小企業でございまして、当時は情報家電メーカー、また、携帯の量産とか、時計、カメラの全盛時代でございまして工場は繁忙を極めておったというときに私めが入ったわけでございますが、私は、そこで初めて研究所というのをつくりまして、大学の装置を持ち込みまして、これからやってやるぞ、学生さんをもう一回、そこでいた
当時、菊池製作所は、お手元、御覧になっていただきますと分かりますが、従業員三百五十人の典型的な物づくり中小企業でございまして、当時は情報家電メーカー、また、携帯の量産とか、時計、カメラの全盛時代でございまして工場は繁忙を極めておったというときに私めが入ったわけでございますが、私は、そこで初めて研究所というのをつくりまして、大学の装置を持ち込みまして、これからやってやるぞ、学生さんをもう一回、そこでいた
グローバル市場においてスマートフォンが一気に普及して、モバイル全盛時代を迎えました。その結果、スマホファーストを推進した企業が台頭しまして、片やスマホ対応で後手に回った企業は停滞したわけであります。
養護のことは、措置権が市町村、措置じゃなくなる、措置が残っている大変重要な施設でして、特養全盛時代なんだけど、養護というのは物すごく重要な施設なんです。ところが、余り知られていなくて、というか、一般財源化されたので誤解されていまして、市町村が措置したらお金が持ち出しになっちゃうんだというふうに誤解されているんです。
まさに、AI全盛時代という時代がやがて来るんだろうと思っていますけれども、そういう中にあっても、やはり政府、そして企業、地方自治体、政府が主導してこのAIを広げていただきたいというふうに思っているところであります。 児童虐待について何点かお尋ねをしたいと思っております。
それから国家保衛部の金元弘も飛ばされたということで、今、内政を担当してきた、国内統制を担当してきた組織指導部全盛時代なので。金正日は組織指導部を使いこなす裁量がありましたが、金正恩は使われているのではないか。 組織指導部に金正日がずっとやらせていたのは国内のことで、絶対に海外に行かせなかった。国際感覚がないんです。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私も相撲は大好きでございまして、子供の頃は柏戸と大鵬が全盛時代でありまして、ほとんどの子供たちは大鵬のファンだったんですが、私ちょっと変わっておりまして、明武谷という、私ちょっと痩せていましたので、やや私に体型が近い明武谷のファンであったわけでございまして、まさに子供たちの夢だったんですね、力士というのは強くて。ですから、国民の関心の極めて高いスポーツであります。
現状認識はこうなっていますよと、かつて貿易摩擦が起こっていたあの全盛時代とは随分違うんだという認識をお互いに、今までも説明してきているんですが、改めてしっかりと説明し、認識を一つにしていく。 それと、貿易というのはお互いにウイン・ウインでなければ成り立たないわけでありますから、当然、ウイン・ウインになるためにお互いが交渉していくということは当然であろう。
チェルノブイリの原発の後、それからちょっとして、これがソ連崩壊の原因になったとも言われているんです、ゴルバチョフの全盛時代で。それで一九九一年に崩壊しているわけです。チェルノブイリは一九八六年です。 コーカサス山脈の地震多発地帯というのがあるわけです。黒海に面したクラスノダールというところに、原発建設、やり始めていたんですが、すんでのところでそこは中止になっているんです。
かつては確かに、社会主義全盛時代でしたから、この時代の防衛策としては意義があったと思いますけれども、もう今は、過度に警戒するとメリットよりもデメリットの方が大きいと考えます。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) かつて自由民主党全盛時代に公共事業を進める中において、言わば建設業界との癒着ということを随分批判されたんですね。確かに選挙母体であったことは事実であります。そして、ずっと右肩上がりで増やしてきた。そこで果たして無駄はないかということで削減を始めたわけでありまして、小泉政権でも安倍政権でも削減をしました。
私は、ぜひNHKさんにお願いしておきたいのは、日本のすぐれたコンテンツを世界に広げていくという観点からいうと、インターネットの動画全盛時代の公共放送の未来のあり方というものについて明確にやはり打ち出していただきたい、これはお願いします。そういう形を、未来のNHKのあり方の姿を打ち出していかないと、今このインターネットの時代、いろいろ問題が生じてくると思います。
さっきもちょっと申し上げたんですけど、日本の観光の大全盛時代というのは、高度成長時代なんですよね。大観光ホテルがどんどん建ったんですね、鬼怒川のあさやさんとか別府の杉乃井さんとか北海道の第一滝本さんとか。それはもう稼働率がうんと下がっちゃっているんですね。なぜかというと、一泊二日モデル、そしてできれば団体ということでやったのが全部実は裏目になっている。
○安倍内閣総理大臣 ただいま丸谷委員が御指摘になったような事情、まさに産炭地として全盛時代には十一万人であった人口が、これは昭和三十五年ですか、平成十七年には一万三千人に急減したということでありますが、こういう中にあって、投資規模がやはり過大になってしまった。そしてまた、人口減少等により大変大幅に収入が減少した。
IT全盛時代、電話だってあります。なぜこんなに最終確認に時間がかかるのか。 百歩譲ってそれを認めたとしても、つまり、三日に文書が届いて、そんなはずはないだろうということで大学に照会をされて、それから二週間以上たって五月十九日に最終的な回答が来た、ここを認めたとしても、少なくとも十九日の時点では公表できたはずです。
その前なんですが、実は私は新聞記者をやっていて、政治記者のときに、たまたま参議院のクラブを担当していたときに、昭和二十年代後半、緑風会の全盛時代でありました。
ちょうど昭和二十年代の後半、緑風会の全盛時代に、私は実は政治記者で参議院を担当したことがありました。本当にこれが二院制の意味だなということを強く思ったんですけれども、本当に、同じ控室の中に山本有三さんがおられたり、もう日本の知性と言っていいような方がおられて、一日、新聞記者でその部屋にいて話を次々に伺っていくだけで全く勉強になりました。
さて、市川さんにお聞きしますが、テレビドラマ全盛時代、まあそのころは放送局もこういう一つの、我が社はこういう方向でいこう、昔、教育テレビなんという、今はテレビ朝日になりましたけれども、そういう一つの社のポリシーというものがありましたね。そこで選ばれたディレクターが、まずディレクターの考えで責任を持ってやる。言ってみれば、テレビ局というものがすべて責任を持ってやって、こういう方向でやっていこうと。
私の学生時代といいますか、中学、高校時代はまさにその全盛時代ですから、皇道哲学というような、哲学の授業にその先生が書いた本、「皇道」、それはまさに靖国神社に結びつくそういう考え方の哲学ですよ、そういうことを教わりましたよ。靖国神社に祭られるということは大変な名誉なことである、金鵄勲章をもらうことと靖国神社に祭られることが大変な国民としての名誉であるということを教育された。
それからもう一つは、やはりそれぞれの国には、IT全盛時代になったときに法律上問題が起こる部分もたくさんあるだろう。その法律をどういうふうに直していくことがいいかということなどについてもアドバイスができるような体制を我々はつくらなければいけないでしょう。
そして、続く昭和三十年代には、遊び型非行の全盛時代を迎える。そして、これが昭和三十九年をピークとする第二の波を形成した。次いで昭和四十年代に入っても遊び型非行の隆盛は変わりませんが、それらの非行の間に、了解困難な、その意味で不気味な非行現象が見られるようになった、それが非社会型非行と呼ばれる非行であり、その数が急増していく。